毎日をささえる医療

地域医療、その言葉のもつ意味は広い。場所によって、あるいは人によってその意味合いは変わる。
今回、地元の医療を守るために、日々、力みなく地域に寄りそう医師たちに出会った。
 

岐阜県の最北端、富山県との県境に位置する岐阜県飛騨市に、飛騨市民病院はある。富山市からは車で約1時間、岐阜市からは約3時間で富山市の方が近い。
病院のある神岡町は人口約8130名、高齢化率45%を超える地域である。
ニュートリノの研究で有名な、カミオカンデ、スーパーカミオカンデがある。
 


高原川の両側を、木々に雪が残りまるで水墨画の絵のような山に挟まれた街並み。肌寒い雪景色の中、その街道の雪を避けながら飛騨市民病院まで歩いた。
3月中旬というのに、前日は20cmまでつもる雪が降っていた。飛騨市の唯一の公立病院であり、その他の2次救急病院までは約1時間を要する。この地域の、最初で最期の医療の砦だといえる。
 

病院長の黒木嘉人医師に話を聞いた。物腰が柔らかく、温厚な人柄の印象を受ける。
 
黒木院長は、飛騨市に隣接する岐阜県高山市に生まれた。父親は町役場で働いており、当時、医師を集める仕事をしていた。そのためか、父親から将来は医師になることを勧められたと言う。医師という仕事のやりがいや、大切さを聞かされた。特に気にしていなかったが、なんとなく地域医療を実践している医師のイメージを描いていた。
 

大学は富山医科薬科大学(現在は富山大学)に進学する。進学後は、軽音楽部と競技スキー部に所属し、学業より部活中心でしたと笑って答えた。
軽音楽部では部長を務め、楽器はキーボード。ジャズが好きだった。今も、ジャズを主体としたバンド活動を行なっている。
 
大学卒業後は、同大学の循環器内科の医局に入局した。しかし、当時の教授が研究畑の人で、臨床を数値化する考え方などに違和感を感じるようになった。1年間我慢したが、どうしても耐えられなかった。最終的に医局を辞め、消化器外科に入局し直した。これまで、循環器内科から消化器外科に転科した医師は一人もいなかったという。
 
消化器外科は、肌に合っていた。自分の手を使い手術をし、やったことが目に見えて結果に残る。そのシンプルさが良かった。没頭するように、仕事をした。
富山県、山形県の病院で消化器外科医として働いた。医師12年目、1996年に飛騨市民病院へ着任する。
 
当時は、病院の規模に合わないような大きな手術も、富山大学から医師を呼んで行った。この地域で医療を完結させたいという想いと、外科医として治療にチャレンジしたいという想いの両方があった。
そんな働き方が評価されたのか、2005年に院長に就任する。飛騨市民病院に来て9年目だった。
 

その当時、常勤医師は12人で、病院の運営も順調だった。うちの病院は医師不足など関係ない話だと思っていた。しかし、飛騨市民病院も初期臨床研修医制度の影響を受け、各医局から医師の引き上げが起こる。院長就任3年目には医師が半数の6人まで減った。急に、病院を取り巻く風景が変わっていった。その後、最終的には常勤医は3人にまで減っていた。
 
これまで行っていた医療が継続できない。
 
この医師数のままでは飛騨市民病院で医療を継続できない、という焦りと不安が湧き起こった。しかし、持ち前の前向きな性格で、なんとかなるとも思っていた。
いや、なんとかこの地の医療を守ると考えたのかもしれない。
 
岐阜大学、富山大学の各医局に、医師派遣をお願いするため何度も足を運んだ。
しかし、「ない袖は振れない。」「岐阜大学からの医師派遣は、高山市まで。飛騨市まではできない。」などと厳しい対応を受けた。
 
医師3人では、救急対応も十分にできないと、救急車搬入の曜日制限を設けたりした。しかし、この方針は結局、住民が困るとすぐに撤回した。
新米院長として、試行錯誤の日々が続いた。
 
考え悩んだ末、お願いするだけではなく、自分たちからも何かを提供しようと考えた。医師を育てる協力をしようと、医学生と研修医の受け入れを始めた。そして富山大学と協力して、あるプロジェクトを立ち上げた。
それが、富山大学の地域医療実習事業の神通川プロジェクトだった。富山大学医学部の医学生を、地域医療実習生として受け入れ始めた。
 
神通川は岐阜から富山に向かって流れる川である。飛騨市民病院の前の高原川を支流としている。人が飛騨から富山につながるイメージだろうか。
 
また、2012年の飛騨市民病院祭を契機に、「飛騨市民病院を守る会」の準備委員会が立ち上がった。常勤医が減ったことを受けて、住民の方々が危機感を持ったのだ。黒木院長が病院の現状を市民に伝えるべく、出前講座を何回も行った。
翌年の2013年、「飛騨市民病院を守る会」が組織され、会員数は約1000人となっている。
 
さらに富山大学地域医療支援講座総合診療部と協力し、初期研修医の受け入れを開始した。2011年から始まり、初年度は一人の受け入れだった。
その後、黒木院長は富山県、岐阜県内の様々な研修指定病院に足を運ぶことになる。院長自らが、研修医に来てもらうためにプレゼンをしてまわった。
 
つまりは営業ですね、と笑って話してくれた。
 

研修医を受け入れるにあたり、研修医一人一人に院長自ら、細かいスケジュールを組んだ。日々の振り返りを行う、ポートフォリオの作成。担当患者さんの生活背景を知る、ライフストーリーレポートの作成など地域でしか学べないことを提供し続けた。街の観光案内や飛騨牛をご馳走するなど、アフターファイブも充実するような取り組みも行なった。
また、市民団体「飛騨市民病院を守る会」との交流もおこなっている。地域住民との繋がりも、研修医教育の一環としてとらえている。
 
病院全体で、街全体で医師を育てようとした。
 
その地道な努力が繋がり、2018年度の初期研修医の受け入れは、過去最高の31人まで増えている。7年目での達成だった。
 
初期研修医の働きで、常勤医が非常に助かっているという。
 
現在は、常勤医も6人まで増えた。大学病院の協力も少しずつ増えており、富山大学総合診療部から医師の派遣も始まった。
発想の転換と人を大切に育てるという、地に足をつけた努力が、着実に実を結んできている。
 
フットワークが良く、いい取り組みを行なっている自治体病院があると聞けば、どこへでも見学に行く。遠くは高知県梼原町の梼原病院や、岩手県一関市の藤沢病院などへ足を運んだ。
 
その原動力は何ですかと聞いた。
 
少し考えてから力みなく、「この飛騨地区の医療を、存続させていきたいだけですね」と答えた。
 
静かにそう話す姿に、地に足をつけた情熱を感じた。
 

次に内科部長の工藤浩医師に話を聞いた。
地元、神岡町出身で開業医の長男として生まれた。父親は、現在も工藤医院で診療を行なっている。
医師である父の働く姿を見ながら中学までは地元で過ごし、高校は高山市の岐阜県立斐太高校に入学する。かつてドラマの舞台にもなった、白線流しで有名な高校である。黒木院長の高校の後輩ということになる。
今はしていないが、子供の頃から剣道に夢中で、大学まで剣道をしていた。
 

近畿大学医学部を卒業し、富山大学の消化器内科の医局に入局する。約10年間、富山県内で働き、その間に大学院に進む。肝臓の研究で医学博士を取得し、首席で大学院を卒業した。研究が性に合っていたかもしれない。しかし、いずれは地元に帰りたいと考えていた。
 
10年前に出身地の飛騨市民病院に着任した。その後、医師が3人に減るという危機を黒木院長と経験する。その時、特にストレスは感じたことはなかったと言うが、なぜか突発性難聴になったという。当直は、3日に1回のペースだった。
 
なんとかその大変な時期を、黒木院長と力を合わせ乗り越えた。
 
消化器内科が専門だが、この生まれ故郷では総合診療が主体になっている。患者さんのニーズに合わせ、自分が提供する医療を変えていく。それが、地域医療の基本だろうか。
 
大学院で熱心に研究をしたこともあり、この地でできることを、学会発表や論文として情報発信している。大学院の上司に、医師として研究や論文発表の大切さを教えられていた。
 
最近では、日本老年医学会雑誌に、
「重度嚥下機能障害を有する高齢者診療における、完全側臥位法の有用性」
が原著論文として掲載された。
高齢者の多い場所で、少しでも患者さんをよくしたいという日々の診療の結果だった。
 
自分達ができる医療を、飛騨市民病院をうまく使いながら提供していきたいと力みなく話してくれた。
黒木院長とこの10年間、二人三脚で医療に携わっている。院長が黒木院長だから、一緒にやれていると思うとも言った。これからの10年も、二人で何かやれそうな気がした。
 
訪問した夜に、地元のお寿司屋さんで、宴会を開いていただいた。
その会に、今年度から飛騨市民病院に小児科部長として着任した、小児科医の中林玄一医師も参加してくれた。
熱心に医療に対する想いを語ってくれた。
 

地元神岡町出身であり、工藤医師とは中学まで同級生だった。そのため10年前から、黒木院長に熱心に勧誘されていたという。富山大学医学部出身で小児アレルギーの専門家だが、飛騨市民病院ではあらゆる疾患に対応している。
この地区には常勤の小児科医が10年以上いなかったそうだ。
 
「医療はインフラだと思っています」
 
インフラとして、常勤の小児科医が存在することは、街の安心にもつながっていることだろう。当直も行い、小児以外の患者さんも必要があれば診察している。
 
医師達が力を合わせて、この街の医療を支えている。そんな日常がすぐにイメージできた。
 

最後に、黒木院長に、どんな医師と働きたいですかと聞いてみた。
 
「患者さんのことを一番に考えることのできる医師と、働きたいです」
 
患者さんを自分の知識や技術向上のためではなく、同じ人間として、患者さんに寄り添う気持ちを持つ医師がいいです、とはっきりと答えてくれた。
 
決して、派手な医療を行なっているわけではない。しかし、日々誠実に市民に寄り添いながら診療を続けている。
最近、国の医療政策もあり地域医療という言葉をよく耳にする。
しかし、以前から地域医療を実践している者たちは、言葉の概念など関係なく、当たり前のように地域に必要な医療を提供し続けている。
飛騨市は市長をはじめ住民が、医療を共に考えながら力を合わせていく下地がある。
 
病院のパンフレットに、こうあった。
 
「飛騨山脈に囲まれた静かな街で、
           一人ひとりの健やかな毎日を支えています。」
 
岐阜県飛騨市神岡町、住民の毎日を支える医療を共に担ってくれる医師を、街全体で待っている。
 

求人案内
組織名国民健康保険 飛騨市民病院
サイトhttp://hida-hp.jp
勤務地岐阜県飛騨市神岡町
職種医師(内科・外科・整形外科)
雇用形態常勤・非常勤
給与規定による
勤務時間8:30〜17:15
休日休暇土日・祝祭日 夏期休暇 年末年始
福利厚生市町村共済 医師手当 宿日当直手当 寒冷地手当

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