誰かのために行動し続ける

 

現在、医療は機能分化が求められ、医療の分業化が進んでいる。
急性期は急性期医療を、慢性期は慢性期医療というように各ステージに合わせ、それに特化した医療を行うことが当たり前になっている。
 
そんな中、「生活支援型急性期病院」という新しい考えかたを打ち出している病院が、東京都調布市にある。
 

その病院が、医療法人社団東山会 調布東山(ちょうふとうざん)病院だ。
 
新宿駅から急行で約20分、調布駅前広場から歩いて約3分の場所にある。急性期病床83床、透析センター(外来60床、入院6床)とドック・健診センターが併設されている。
その調布東山病院が、各内科医・ジェネラルマインドを持った外科医を募集している。
 

その日の調布駅前広場はフリーマーケットが開かれ、親子連れがたくさんいるのどかな暑い土曜日だった。どこからかギターの音色と共に、女性の歌声が耳に入ってきた。
 
汗をハンカチで拭きながら、待ち合わせの時間に受付を訪れると、経営本部の
福垣部長が待ってくれていた。
7階の会議室に案内されると、理事長の小川聡子医師が迎えてくれた。小柄できびきび動き、言葉を選びながらしっかりと話す。優しい目の中に、意志の強さを感じた。
 

そんな小川理事長が、話を聞かせてくれた。
 
父の故後藤田圭博氏は徳島県出身、東京大学医学部を卒業し外科医となった。大学病院で駆け出しの外科医として働いていた時に、地元で開業医をしていた父親が、地元の大病院で当時でも亡くなることが稀な胆嚢炎で命を落とした。
その時は、大きな組織の縦割りの論理が先行し、迅速に対応してもらえず、大切な患者の命がないがしろにされたと感じた。父親の死を契機に、地域で真の患者のための医療をやりたいと大学病院を飛び出した。
 
そんな想いを胸に、思いやりのあるサービス・人情味のあるサービスを提供する、という理念を一つにかかげ、1982年に調布東山病院を開設した。東山(とうざん)は故後藤田圭博氏の出身地、徳島県の地元の地名を取っているという。
 
小川理事長は、東京都多摩市で生まれる。3人兄弟の真ん中で、現在、兄は医師で消化器内視鏡のスペシャリスト、弟は衆議院議員をしている。
 
家族の顔ぶれを知ると少し気後れしてしまったが、そんなことは全く感じさせない気さくな人柄だった。
 

子供時代は目立つ兄と弟に挟まれて、おとなしく過ごしていた気がすると振りかえる。本当にのびのびと過ごしていたという。
父は仕事が忙しくほとんど家にいなかったが、節目節目で人として大切なことを伝えてくれた。子供のことを尊重し、いつも厳しくも暖かく見守ってくれていた。
父に憧れ、父のような人になりたいとずっと思い続けていた。
 
小学校は地元の公立小学校に進み、中学高校と私立白百合学園中学・高等学校に進学した。体を動かすことが大好きで、中学はソフトボール部、高校はバスケットボール部に入部した。おとなしい性格だったが、なぜか一度だけ、高校は公立高校を受験しようとして、皆に心配をかけたことがあった。
 
「熱に浮かされたようなもの。違う世界を知りたかったのかな」と笑った。
 
大学進学を迎えた時に、何学部に行くのか、どこの大学に行くのかなどを考えたことがなく、悩んだ。両親から進路を強制されることはなく、本当に自由にさせてもらった。
悩んだ末、理系が得意で人と接する仕事がしたかったこともあり、父と同じ医師の道を志した。浪人後に東京慈恵会医科大学(以下、慈恵医大)に入学する。その時に初めて、祖母から祖父が慈恵医大卒と知らされた。
 
大学でもチームスポーツを選び、バレー部に入った。
みんなで何かを目指し、共に何かを作り上げることが好きだという。
 
慈恵医大に入り知った言葉がある。「病気を診ずして病人を診よ」という慈恵医大の理念だ。この理念はいつしか自分自身の信条になっていた。
 

卒業後は慈恵医科大学附属病院で2年間研修し、その後は循環器内科に所属した。その時の医局長が何でもやらせてくれる医師で、循環器疾患の様々なことを学んだ。慈恵医大では女性で初めて心臓血管カテーテル検査、治療を行なった。色々学ぶうちに心不全に興味を持ち、深く学ぶようになった。
 
大学からの派遣で、神奈川県立厚木病院(現・厚木市立病院)に出向し、当直当番では循環器疾患以外も担当した。わからないことも多かったが、同僚の自治医科大学出身の医師達に教えを請い熱心に内科全般にとどまらず、外科、小児科、泌尿器科などあらゆることを学んだ。
 
もともと「病気を診ずして病人を診よ」を胸に診療にあたっていたので、なんでも吸収した。
 
医師となり10年がたち、仕事にも自信が出てきた頃、父親の体調が良くないことを知らされた。そして父の同級生で、当時の調布東山病院長から同病院で働くことを打診された。その時は慈恵医大附属病院で働いていたが、急遽、調布東山病院で働くことになった。この時期は、調布東山病院の内科医師が複数名辞めた時期とも重なり、初めの4年間はとにかく忙しかった。外来、病棟、救急と絶え間なく仕事がやってきた。本当にハードな日々を過ごした。この時のことがあり、医師の働き方には常に気を配っている。
 
父親の体調が芳しくなく、院内では次は誰が後継者になるのかが、話題に上がるようになる。後継者とされていた兄は内視鏡のスペシャリストで、日本にとどまらず世界に名を轟かせるようになっていた。なんとなく自分が継ぐことになるかもしれないと考えていた。
そして、兄が病院を継がないことが決まり、理事長就任の打診を受ける。この時は夫が東京を出る可能性があったり、本当に自分に病院運営ができるか自信がなかったり、非常に悩んだ。父からは病院運営は大変なことだからと、第三者に売却することも選択肢として提案されていた。
 
2ヶ月悩んだ末に、父親にこう伝えた。
 
「やらないという言葉はどうしても言えない。
         ただ、やれるかどうかもわからない。それでもいいですか」
 
父は地域の患者さん、職員を非常に大切にしながら仕事をしていた。
父に憧れ、父が目指した医療に共感していた。そして25年間父についてきてくれた職員を見捨てることはできなかった。
 

2009年、その父が亡くなり、医師になり16年目に理事長に就任した。
 
その後はまさに試行錯誤の病院運営だった。自分の方針が本当に正しいのかと迷ったり、職員をやる気にさせていない自分に悩みながら仕事をしていた。様々な人に病院運営の話を聞いたり、いいと思った研修会や講習会には積極的に参加した。
 
そんな中で段々と自分が進むべき方向、どんな病院にしてどんな医療をやって行くのかがボンヤリと、しかし着実に見えてきた。
 
自分の方針を理解してもらうために自分はどう振る舞うべきか、そのためにはどんな知識や方法が必要なのかを考え学ぶようになった。
そして「最後に責任を取るのはあなたなのだから、自分の思うようにやっていいんだよ」と夫に背中を押され、覚悟を決めた。
 
2011年には病院が新築移転となり、本当に新しいスタートになった。建築士の方が現場の声をたくさん拾い上げてくれ、みんなの想いがつまった本当に働きやすい病院になっているという。
 

病院という組織のなかでは、事務職が非常に大切だと考えている。医療現場という舞台をそろえる核になる職種と捉えており、医療業界にとどまらず幅広く人材を雇用している。
現在、前職がベンチャー企業、メーカー、出版社など多種多様な人たちが働く。人が集まる組織にしないとこの先立ち行かないと、常に危機感を持っている。
 
インタビューの合間に、理事長の声かけで、職員食堂にたくさんのスタッフが集まってくれた。
 

「理事長の頑張っている姿は皆が見ている」
「現場の意見はいつでも聞いてくれて、すぐ動いてくれる」
「急性病院なのにどうしてここまでするのか、と思う時もある」
「常に理想が高くて、どう実現させるか皆で考えている」
「廊下で気軽になんでも相談できる理事長です」
 
スタッフの言葉を聞いていると、小川理事長の人柄が伝わってきた。
 

病気だけを見るのではなく、その人がどのような生活をしていたのか、退院後どのような生活をするのか、を想像しながら治療目標を立てることができる医療者を増やしていきたい。地域にとって役立つ、地域に寄り添う病院でありたい。
急性期病院でありながら、在宅生活支援が重要であると捉え、小川理事長自ら在宅センターの責任者となっている。急性期病院でありながら在宅支援を行う意義を、発信、共有している。
 
在院日数のために医療を行なっているわけではなく、その人にとって治療の最適日数がある。そこには退院後の現実の生活を支える準備、退院後に地域でその患者さんをみてくれる方々とのコミュニケーションの期間も含まれている。それらが適切に全て行われた結果の指標が、在院日数であると考えている。
医療者がそのことを考え続けながら、医療を行う。急性期医療こそ、もっと変わらなければならないと感じている。
 
「急性期から在宅へ、でイノベーションを起こす」
 
その想いが、「生活支援型急性期病院」という言葉につながっている。
 
6年前から職員総会を年1回開催している。今後の法人全体の方針を伝え、各部署がそれに沿って細かな方針を説明する。1年間の職員の写真や動画を制作し、上映している。1年間の振り返りと、今後の運営方針を共有するようにした。
 
2月の日曜日に開催されているが、多くの職員が参加してくれているという。
 
父から始まった東山会の理念は、37年前の創業期から変わっていない。そして東山会の価値はその理念にもある「人情味」と考えている。人情味とは技術力と人間力が伴って初めて発揮される。誰かのために行動し続ける人間力と、技術を磨くために努力し続けること、この二つを軸に職員一人一人が成長していって欲しいと思っている。
 
トップが明確に運営指針を職員に伝え続ける。そして現場からのボトムアップを絡めながら、組織全体で理想の医療を目指している。
 

求める医師像は、「逃げずに責任を持って、なんでも自分ごととして捉えてくれる医師です」と答えてくれた。そんな医師たちと、理想とする地域医療を作り上げていきたい。
 
医師の働き方には特に注意している。常勤医には当直を無くし、日勤帯の仕事に専念できるように配慮している。担当入院患者数も適正人数を考え調整する。
当院でできる医療は、各科の医師が協力し合ってできる限り行う。日々、助け合いながら仕事ができる環境を整えている。
 
初めから終わりまで、理事長自ら院内を共に歩きながら案内し説明してくれた。各部署で笑顔で気さくに職員に話しかけ、職員も気楽に小川理事長に話しかける。
 
大きな理想をかかげ、細やかな戦略をもって職員と共に前に進む。
 
小川理事長の歩みは始まったばかりだ。
 

求人案内
組織名医療法人社団東山会 調布東山病院
サイトhttps://www.touzan.or.jp
勤務地東京都調布市
職種総合内科医・一般内科医 消化器内科 糖尿病・内分泌内科 呼吸器内科 在宅センター(訪問診療医) 外科医
雇用形態常勤
勤務時間8:30-17:00 当直なし
勤務日数週5日(週1日研究日あり)
給与・福利厚生委細面談

シェアする