地域の求めるものをさがして
その病院には白い大きな本棚があり、そこには本があふれている。その本棚の設置費用はクラウドファンディングで募集。患者さん用のイスは全てカリモク60で統一されている。キャッチフレーズは、私たちは「また来てね」といえる病院を目指します。
そんな楽しそうな病院が、兵庫県明石市に存在している。
医療法人社団 医仁会 ふくやま病院。
今回、整形外科医、緩和ケア医、内科医、看護師を募集している。
小雨が入り交じる、不安定な天気の午後に訪れた。
山陽電車、西新町駅の改札を降りてすぐ駅前の広場とつながる場所に、白と黒を基調とした清潔感のある建物が見える。
病院に入ると受付から外来につながるスペースに、壁に組み込まれた大きな白い本棚が目にはいる。そこにはたくさんの本が置かれていた。ジャンルは小説からノンフィクション、雑誌まで多種様々で、さながら図書館のような雰囲気。本棚の本を眺めながら2階にあがることができる白い階段がある。
1階の本棚は、地域の人達に病気でなくてもふらりと病院に寄ってもらいたいという想いで設置された。費用は「病院に人と人がつながる本棚を作りたい」というテーマでクラウドファンディングで募集。支援者は135人で目標金額は達成された。
待合には、カリモク60で統一されたイスが並んでいた。待ち合わせをしていると思われる女性の姿も目に入る。一見、病院には思えない。
受付に声をかけたその時、2階から声がかかった。見上げると譜久山剛理事長が白い階段をゆっくり降りて来た。目力のある優しい目にまるぶちのメガネ、赤いスニーカー、細身の体で芸術家のような雰囲気を醸し出している。その時は痛風発作の痛みのため、赤い杖をついていた。冗談を言いながら痛そうに歩く姿に、少し気持ちが和らいだ。
挨拶を済ませた後、医局横の応接室に案内してくれた。医局の壁は黄色のフレームにガラス張りで、廊下から中がよく見わたせる。その時は会議中で、廊下から真剣な表情までよく見えた。医局は医師と看護部長、医療技術副部長が同席し、医局+(メディカルオフィスプラス)と名づけられていた。理事長、院長もその部屋にいることが多い。
いつもの病院の風景とは異なる空間に、少し混乱した。
会議までの時間に譜久山理事長が話をしてくれた。その間もひっきりなしに電話がなっている。真面目な顔で30秒に1回は冗談を交えながら軽快に話す。
ふくやま病院は理事長の父、譜久山當悦氏が譜久山外科として1974年に西明石駅近くに開業した。沖縄県与那国島出身で、三重大学農学部を卒業後に奈良県立医科大学医学部に再入学し医師となる。病院を大きくしたいが良いだろうかと、高校生の子供に相談をするような真面目な性格だった。「後を継げよと念押しされただけかもしれませんが」と笑った。1980年に45床の譜久山病院となり、1987年には120床に増床された。
譜久山剛理事長は明石市で3人兄弟の2番目、長男として生まれる。
中高一貫教育の白陵中学校に入学し、中学高校生時代は勉学にきびしい環境で過ごした。高校卒業までは地元で過ごし、高校卒業後は長崎大学医学部に入学。大学生時代はアウトドアが好きになり、特にシーカヤックに夢中になる。中学高校生時代の反動で、とにかく遊び中心の大学生活だった。
なんとか晴れて医師になり神戸大学医学部第一外科(消化器外科)に入局した。しかし1997年、医師3年目に父が脳出血で倒れ、大学院へ行きながら実家の病院を手伝うようになる。当初は外科医を専門で10年はやるつもりだったが、予定が大きく変わった。母親からは実家の病院を閉院する選択肢も提示されたが、閉院は全く考えなかった。
この時から、子供の頃父親の背中を通して見ていた地域医療にかかわることになる。専門性の高い外科医というよりは、総合診療医よりの医師生活が始まった。今では自分はまち医者と自負しているが、父の急病で予定していたキャリアが変わった結果だった。
その時のことは多くは語らなかったが、父親が倒れてから34歳で院長に就任するまでは相当な苦労があったと感じた。
その後は試行錯誤しながら、日々の臨床と並行し病院運営を手探りで行なった。
2016年11月に病院が約2.5km離れた場所へ新築移転となる
地域に求められる病院づくりを模索し、コミュニティーデザイナーの山崎亮さん(studio-L)にもアドバイスを求めた。山崎さんからは、地域がどんな病院を求めているかを住民に聞くこと、職員に病院のコンセプトを考えてもらうという提案を受ける。
その後約1年かけて、地元の自治体職員を中心に地域住民を地区ごとに分けて、新病院に求めることを聞くワークショップを開く。驚いたことに住民の一番の声は「避難場所としての機能」だった。意外に感じたが、新病院では災害時の避難場所としてコミュニティホールを2階に設置する。地域に求められることを素直に実行した。医療に関しては、在宅医療をふくめたかかりつけ医としての機能を期待されていることもわかった。
その住民の意見を踏まえて、職員に病院のキャッチフレーズを考えてもらう。
そして職員内で話し合いをかさね、−私たちは「また来てね」といえる病院を目指します−というキャッチフレーズが生まれる。
病気を予防し在宅復帰を支援する、困った時はいつでも相談にきて欲しい。地域の人が安心できる場所にしたいという想いのあらわれだった。
その話から、地域のニーズに真摯に応えたいという気持ちを感じた。
住民の希望を取り入れるかたちで作られた2階のコミュニティホールでは、様々な取り組みが行われている。音楽会や落語家をよんで落語会を開いたり、様々な講演会を行ったりと医療の枠組みにとらわれないコミュニティーを作る場を提供している。
2ヶ月に1回開催しているがん哲学外来、明石メディカルカフェは、薬剤師加藤さんの提案から始まった。癌患者さん、その家族が普段は言えない悩みを語り合い共有する。少しでも気持ちが楽になればという取り組みだ。
譜久山理事長は、サーバントリーダーシップという言葉を口にした。簡単にいうと一番前で組織をグイグイ引っ張るリーダーシップではなく、チームに奉仕するリーダーシップだ。
チームに対して奉仕の気持ちを持って接し、どうすれば組織のメンバーの持つ力を最大限に発揮できるのかを考える。その環境づくりに重きをおくリーダーシップを心がける。トップダウンだけではなく、職員をサポートし働くモチベーションを上げることを常に考えている。
譜久山理事長のインタビューは受付の待合で行なった。何人もの患者さん、その家族から気軽に声がかかる。譜久山理事長も笑顔で気さくに答える。
その度にインタビューが中断する。その情景にふくやま病院の雰囲気を感じた。
真剣なまなざしでまじめな話をしているかと思えば、急に冗談を言いペースをみだす。話しているとそんな楽しい人柄が伝わってきた。
勤続10年目の看護部長の緒方さんが院内を案内してくれた。
「ふくやま病院の多様な勤務形態のおかげで仕事が続けられています」
働きやすい職場で、看護師はシフトが4パターンある。研修は時間内におこなうなど、残業がほぼないと言い切れる様々な工夫がされている。妊娠、出産を望む人たちが希望して就職することもあるようだ。
これもサーバントリーダーシップのひとつだろうか。
現在、同時期に産休、育休中の看護師さんが重なり看護師も随時募集している。
理事長のことを聞いてみた。
「アイディアがたくさんあり、いきなりびっくりするようなことを言います」
「発想が飛んでいて、理解できないこともあります」
「言いにくいことも何でも相談できます」
「壁を感じないです」
ニコニコ笑いながら、そう話してくれた。
理事長からバトンタッチし、理事長の弟でもある譜久山仁院長に話を聞いた。理事長とは4歳年下。消化器外科医で緩和ケアを主体とした診療と病院運営にあたっている。
優しい雰囲気と穏やかな語りで理事長とは違うタイプと感じたが、30秒に1回は笑いをとろうとするところは同じだった。「兄には大変かわいがってもらった記憶しかないです」と話してくれた。
進学校で中高一貫教育の甲陽学院中学校に入学し、高校卒業後は三重大学医学部に入学する。大学時代は兄の影響でカヤックを始めた。趣味はピアノと読書。最近はオーディオブックで通勤中に本の朗読を聞いている。本のジャンルは院長になってからは、経営やマネジメントの本が多くなっているという。
大学卒業後は兄と同じ神戸大学第1外科に入局し、外科医として医師人生をあゆみ始める。尊敬する父親にいつも、「『山は富士、医者は外科』と言われていましたので」と笑った。
途中、麻酔科に出向し麻酔科標榜医にもなった。その後、大学卒業直前に父親が脳出血になったこともあり兄と同じようにふくやま病院で働くようになる。一医師として働いていたが、病院の移転に伴い約2年前に院長になった。「役職のない医師からいきなり院長になりました」と照れながら話してくれた。
看護部長の緒方さんは、院長が怒ったところは一度も見たことがありませんと話していたが、本当に穏やかな人だと感じる。
医師となり一番初めに担当した患者さんが、進行癌で手術ができない患者さんだった。上司からその患者さんの話をしっかり聞くように言われた。その時に患者さんと長い間対話をしたことが、緩和ケアに関わった最初の経験だった。
緩和ケアに関してはバックアップ連携という取り組みを、がんセンターなどとすすめている。これは緩和ケアにつながる時期を少しでも早くし、患者さんとの関係をよりよいものにしていこうという取り組みだ。癌治療ができなくなったときに紹介されて関わるのではなく、化学療法を行なっているときから緩和ケアに対する理解を深めてもらい、患者さんとの信頼関係を作っていく。抗がん剤治療はがんセンターや大学病院で行い、日々の体調の変化などちょっとした相談も受けるようにしている。
緩和ケアの初回の外来は特に時間をかけ、心理カウンセラーやソーシャルワーカー、専任の看護師など多職種でチームとして関わる体制を取っている。
譜久山院長の穏やかな人柄と話ぶりに、患者さんや家族の安心している様子が想像できた。
譜久山理事長に、今後のふくやま病院の方向性を聞いてみた。
「在宅医療にさらに力を入れることと、緩和ケア病床を増やしていきたいと考えている。規模の拡大ではなく、質を高める方向へ進めていきたい」
「トイレだけ使用してもらってもいい。本だけ読んでもらってもいい。血圧だけ測って帰ってもらってもいい。それをキッカケに検診を受けようかと思った時に、ふくやま病院に相談してみようと思ってもらえるような街の装置でありたい」
一緒に働きたい医師像は?
「気軽になんでも相談できる医師で、同じ方向を向いて歩んでいける人がいいです」
「ふくやま病院に足りないところを補ってくれる人も必要ですね」
募集する整形外科医に関しては、現在常勤の医師が開業予定で非常勤になってしまうこともあり急募している。整形外科へのニーズは高く、地域の求めに応じたいという想いもあり、同じ目線で共に地域を支えてくれる整形外科医師を求めている。
また緩和ケアは特に力を入れており、譜久山院長と共にバックアップ連携を推進してくれる緩和ケア医、在宅医療に興味のある内科医を募集している。
その夜、西明石駅近くの夫婦で営む日本料理店で一席もうけていただいた。読書家の二人のおすすめの本の話や、組織論、マネジメントといった興味深い話がはずんだ。痛風発作中の理事長はお茶しか飲んでいなかったが、笑いが絶えなかった。
兄弟のボケとツッコミのような楽しい会話を聞きながら、譜久山院長が「兄は多方向、私は一方向」と笑いながら話していたことを思い出していた。
医療の枠組みにとどまらない幅広い発想をする兄、緩和ケアを主体に医療を地道に実践する弟。その兄弟が見据えるふくやま病院の未来は、「また来てね」といえる病院になるだけにはとどまらず、医療をこえて人と人がつながる場所になる、そんな気がした。
2人が創り出す心地よい雰囲気に触れながら、兄弟が力を合わせて地域のもとめるものを探し続ける姿が目にうかんだ。
楽しい時間をすごし、2人に礼を言いその店を離れた。
しばらく歩いて振り返ると、見えなくなるまで見送ってくれている2人がいた。
組織名 | 医療法人社団医仁会 ふくやま病院 |
サイト | http://fukuyama-hp.jp |
勤務地 | 兵庫県明石市 |
職種 | 医師:整形外科・緩和ケア・内科 看護師 |
雇用形態 | 常勤・非常勤 |
給与 | 当法人規定による |
勤務時間 | 平日4.5日+当直(当直なしの勤務可) 月・木・金 8:30-17:00 土 8:30-12:30 火曜午後診+当直 17:00-翌日8:30 |
休日休暇 | 有給休暇 法定通り |
福利厚生 | 研究費 学会年会費 学会参加費 年額10万円まで支給 |